東京家庭裁判所 平成3年(家)13508号 審判 1992年12月21日
主文
申立人の名「廣子」を「ひろ(广に黄)子」に変更することを許可する。
理由
第一 申立ての趣旨
主文同旨
第二 事案の概要及び当裁判所の判断
1 本件は、申立人が平成三年一一月一一日東京都文京区長あて甲野太郎との婚姻の届出をしたところ、その届出を受理した同文京区長において甲野太郎戸籍を管掌する同都豊島区長に対し申立人の婚姻による入籍記載のため婚姻届出書の送付をするに当たり平成二年一〇月二〇日付け法務省民二第五二〇〇号法務局長、地方法務局長あて民事局長通達(以下「本通達」という。)に基づき申立人の名「ひろ(广に黄)子」のうち「ひろ(广に黄)」の字は俗字ないし誤字であるため正字である「廣」を用いて戸籍に記載する旨の告知し、婚姻届出書の送付を受けた同豊島区長において甲野太郎を戸籍に申立人の婚姻入籍記載をするに当たりその名を「廣子」として入籍記載したことから、申立人は、(1)両親から「ひろ(广に黄)子」と命名の上出生届がなされて以来五二年余にわたり学校、勤務先等広く日常生活一般において「ひろ(广に黄)子」を使用してきたものであり、今後これまでに使用したこともなく、書きにくい「廣子」を使用しなければならないとすれば非常に不便である、(2)本通達は氏名に俗字又は誤字とされる文字が用いられている場合に戸籍事務管掌者において事前に本人に説明したり、意見を聴取することなく、かつ、本人の意思や事情いかんにかかわらず新たに戸籍に当該氏名を記載する機会をとらえて機械的かつ一方的に正字に改めるものであるところ、戸籍法上このような取り扱いを許容する規定は見当たらず、法的根拠を欠くため違法であるというにとどまらず、個人が長年にわたり用いてきた氏名をその意思に反して変更することを強制するものであつて、個人の尊厳を侵害し、国民の自由・権利を奪うものであり、憲法一三条にも違反するため違憲無効である、として、その名「廣子」を「ひろ(广に黄)子」に変更することの許可を求めるものである。
2 そこで、検討するに、申立人に係る戸籍謄本及び除籍謄本のほか記録中の資料によれば、申立人主張のとおり、本通達に基づき、申立人の婚姻による入籍記載をするに当たり申立人の名「ひろ(广に黄)子」を「廣子」と訂正して記載した事実が認められるところ、本通達は、社会一般において正しいと認められている字で常用漢字表など公的裏付けのあるもの及び康煕字典、漢和辞典等で正しいとされている文字を正字とする一方、慣習により用いられている俗用の文字で漢和辞典等で俗字とされている文字を俗字、以上の正字及び俗字のいずれでもない文字を誤字であるとして、氏名に用いられている俗字(ただし、本通達の別表1及び別表2に掲げる一定の文字を除く。)及び誤字につき、平成三年一月一日以降戸籍事務管掌者において、婚姻、養子縁組、転籍等による新戸籍の編成、他の戸籍への入籍又は戸籍の再製により従前の戸籍に記載されている氏名を移記する機会又は認知、後見開始等により戸籍の身分事項欄、父母欄等に新たに氏若しくは名を記載する機会をとらえて当該氏又は名に用いられている俗字又は誤字に対応する字種及び字体による正字で記載する取り扱いをすることを求めるものであり、かつ、俗字又は誤字から正字への訂正が氏名の変更ではなく、その表記の訂正に過ぎないことを理由に、訂正記載の取り扱いをした上、事後に本人にその旨告知することとしたものである。確かに、氏名に本通達にいうところの俗字又は誤字が使用される事例があるため、戸籍事務の能率的な処理上少なからぬ困難を来していることは明らかであり、その解消のための措置が講じられる必要があることは否定し難いというべきである。しかしながら、氏名は、固有名詞の典型として、これを組成する文字全体によつて特定の人物を表象し、彼我を識別する機能を果たしているため、そのうちの一文字であつてもこれに変更を加えるならば文字全体のもつ前記表象・識別機能には差異を生じるといつてよく、この理は氏名に用いられている俗字又は誤字の正字への訂正であつてもそれが瑣末な変更にとどまる場合は別として変わりがないというべきであるから、この取り扱いが常に単なる表記の訂正にとどまり、氏名の変更に当たらないとはにわかに断定し難いといわなければならない。本通達でも、俗字又は誤字から正字への訂正に当たり、俗字又は誤字に対応する字種及び字体による正字の決定が困難な場合のあることを認めているが、このことは、俗字又は誤字から正字への訂正が単なる表記の訂正を超える問題のあることを意味するものであるといつてよい。そして、この点はさておくとしても、本通達において俗字、誤字とされる文字を含む氏名を使用する国民の立場からすると、この取り扱いに伴う氏名表記の変更のため印章、名刺、表札、免許状、果ては当該氏名を表記する書籍その他の文物に至るまでこれを一新する必要を生じるなど、その社会生活に多大の影響を受けることがありうることからすれば、上記のように戸籍事務の能率的処理の要請があるとしても、戸籍法上このような取り扱いをすることを是認する明文の根拠規定がないのに(戸籍法五〇条、戸籍法施行規則六〇条はもとより、同施行規則三一条一項もこのような取り扱いをなしうる根拠となるものではない。)、本人の意思や事情のいかんを問うことなく、一律かつ一方的に氏名に含まれる俗字又は誤字を正字に改めることは許されないというべきである。特に、俗字は慣習により用いられている俗用の文字で漢和辞典等で俗字とされている文字であるとされているのであり、このような俗字はもとより、そうでない誤字とされる文字のなかでも世上比較的多く氏名に用いられている文字にあつては、一定の社会的認知があるものといつてよく、かつ、当該文字を含む氏名を使用する者が正字への訂正によつて被ることのあるべき前記不利益も一概に無視すべきものでないことからすると、このような文字を氏名の表記から一切抹消するか、それともこれを一定の範囲で許容するとしてその範囲をどのように定めるか、さらには訂正のための手続きをどのように定めるかといつた点は、戸籍事務管掌者の行政判断でなしうるところではなく、立法的判断に委ねるべき筋合いであるというべきである。しかるところ、本通達では、別表1及び別表2に掲げる俗字についてのみ正字に準じる取り扱いをし、その余の俗字及び誤字については対応する正字に訂正することとしているが、それが当該俗字の全国的な使用頻度等を考慮した上での取り扱いであるとしても、戸籍法上はこのような理由でいうところの俗字及び誤字の取り扱いにつき差異を設けることのできる根拠はないはずであり、本通達における俗字及び誤字の訂正の取り扱いには法的根拠の面で疑問があるといわなければならない。
本件において、戸籍事務管掌者である東京都豊島区長は婚姻による入籍の記載をするに当たり事前に申立人の同意を得ることなくその名「ひろ(广に黄)子」を「廣子」に改めたものであるが、申立人の名「ひろ(广に黄)子」に使用されていた「ひろ(广に黄)」の文字が本通達でいうところの俗字ないし誤字であるとしても、社会的に使用事例の極めて少ない文字であつて、およそ社会的認知が問題となるような文字ではなく、かつ、「ひろ(广に黄)」から「廣」への訂正が申立人においてこれを甘受すべき程度の瑣末な変更に過ぎないとまでは断定し難く、他方申立人の主張内容に照らすと前記訂正措置が採られたことにより申立人においては社会生活上少なからぬ影響を受けることが窺えることからすると、同豊島区長の採つた措置を是正する必要があるというべきである。
よつて、本件申立ては理由があるので、これを認容することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 渡辺 温)
《当事者》
申立人 甲野ひろ(广に黄)子
昭和 年 月 日出生
申立人代理人弁護士 内藤 功